いまだ生を知らず

二十歳になりました

本日、無事に二十歳を迎えることができました。
昔は自分が二十歳になるなんて想像もできなかったのに、気付いたらその瞬間が目の前に迫っていました。
数週間前から自分が二十歳になるということが常に意識の4分の1程を占めており
二十歳になった瞬間に何かが変わる訳ではないのは分かっているのに、どこか落ち着かない気分でした。

二十歳になる瞬間は何をつぶやこう。ずっと前からそんなことを考えていました。
しかし二十歳を迎える前日、高校時代に何度も読んだ中島敦の「弟子」の存在を思い出し
図書館に足を運んでその本を借りてきました。
というのも、初めてこの小説を読んだ時に子路と一緒になってはっとした孔子の言葉を思い出せず
それが何であったのか気になって仕方がなかったのです。
そして、二十歳を迎える瞬間はこれを読んで過ごそうと決めました。
同時に、二十歳になる瞬間をこの目で見るのがなにか怖いような気さえしてきたのです。
夜に高校の同級生たちと久しぶりに会って食事をしてから、日付が変わる30分程前に帰宅し
昼間に借りてきた「弟子」をゆっくり読み始めました。
地震が起きても、それを中断することなく。
読み終わって時計に目を向けると、既に日付は変わっていました。
そしてケータイを見ると、数件のメールが届いていました。
頂いたメールを読むなり溢れる思いがこみ上げてきて、しばらくそれに返信することすらできませんでした。
あんなに泣いた誕生日は初めてです。

その後もたくさんの方からお祝いのメッセージを頂き、一日中幸せな気持ちで過ごしました。
メッセージを下さった皆様、本当にありがとうございました。

今日の風景と昨日の風景は、ちょうど昨日の風景と一昨日の風景のような違いしかなかったように思います。
しかしこれからどんどん周りの風景が変わっていくかと思うと、とても楽しみで仕方がありません。


ところで、このブログのタイトルですが、
まさに高校時代の私が子路と共に衝撃を受けた孔子の言葉です。
(実際はこの後に「いずくんぞ死を知らん。」と続きますが。)
生とは何か、これを追い求めながら毎日を過ごしていきたいと思います。


  1. 2011/08/02(火) 23:44:30|
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